群馬研修日記・坂口編(2) 偉大なバカヤロウへの道
坂口です。
(1)「わくわく群馬!ねぎねぎ群馬?」のつづき
研修二日目、養気院は休診日です。
しかし休みの日ではありません。栗原オーナーと共に東京へ向かいます。
栗原オーナーがカポスでの業務をしている間、私は一ヶ月後に東京で住む町の下見をするため、京急沿線をポタリングしてきました。
うーん、天気が良くて風も気持ちいい!
もちろん散歩しているだけではなく、合間に喫茶店に入り研修の課題に取り組みます。
うーん…予想はしていましたが、サクサク作業が進むようなものではありません。
読んだり、書いたり、まとめたり。脳みそを鍛えるべく頑張ります!
「 偉大なバカヤロウ」に至る3ステップ
何かを成し遂げた人物を評する時に、「バカ」という表現を用いる場合があります。もちろん頭が悪いというわけではなく、敬愛の気持ちが込められています(ある種のあきれもあるかもしれませんが…)。人は如何にして偉大なバカヤロウになるのか、そのステップを考えてみたいと思います。
1.デカい夢を持っている
これは何も特別な事ではありません。子供は驚くほど純粋に、何の制約もなく「あんなこと出来たらなぁ」「こんな風になりたいな」と思っています。他人から見れば大きな夢に見えない場合でも、本人の中で目標に対して何の制約もついていないという点において、どんな夢もとてつもなくデカいのです。
しかし成長するにつれ、思い通りにいかない現実に直面し、知らず知らずのうちに制約が増えていきます。物分かりが悪いままではいられません。そして「大人になる事」に成功した(してしまった?)人は、「偉大なバカヤロウ」の道を外れていきます。
2.夢をあきらめきれない
さて、思い通りにならない現実を目の前にしてもなお、何とかそれを実現させたいと思う段階です。あきらめきれないという事は、裏を返せば何度かあきらめようとしたと言う事です。それでもあきらめきれず、夢におぼれてしまった人は「ただのバカヤロウ」となり、社会的に評価されることはありません。この人が必ずしも不幸とは限りませんが、夢を追って身を崩すような人は偉大になることはできません。
3.そして、「偉大なバカヤロウ」へ…
なぜ、私たちは「夢を追う事」と「現実的な、社会生活を営む事」は別々のものだと考えているのでしょうか。夢を追いながら生活する事は不可能なのでしょうか。むしろ、「夢を追えば追うほど生活が豊かになる」方法は無いのでしょうか。「そんな都合のいい事あったら苦労しないよ」と言われそうですが、苦労しない事はいけないことなのでしょうか。
「偉大なバカヤロウ」への道は、一つではないと思います。才能とセンスで一足飛びに到達するような人もいるかもしれませんが、一つの例としては、夢を追うほど生活が豊かになる”仕組み作り”に成功した人だと言えるのではないでしょうか。
私は学生時代から、そして鍼灸接骨院に就職してからも、たびたびこのような疑問を持っていました。
・この治療は鍼灸でなければいけないのか?
・なぜ、このように鍼を刺したのか?他の場所ではいけなかったのか?
・開業しなければ一人前の鍼灸師になれないのか?
このような質問に対して、「何を言ってるんだこいつは」「大人になれよ」「開業しないとやりたいように鍼は打てないよ」と言う答えが多い中、栗原オーナーは
「もっとみんな普通に考えたらいいのにね~子供みたいに。子供って物分かり良くないよね?大人なフリして物が分かったようにしてもね~」
と言いました。開業14年目のベテランとは思えない、ある意味子供っぽい発言です。しかしこの発言を聞いた時、私には栗原オーナーが「偉大なバカヤロウ」に見えました。いつの時代でも歴史を塗り替えてきたのは「偉大なバカヤロウ」だと、私は信じています。
最高の鍼灸を目指して 何が悪い!
人として生まれ鍼灸師になったからには
誰だって一度は最高の鍼灸を志すッ
最高の鍼灸など一瞬たりとも夢見たことがないッッ
そんな鍼灸師は一人としてこの世に存在しないッッ
それが心理だ!!!
ある物は免許を取ってすぐにッ――――ある者は稼げない現実にッ
ある者は効果が出せない現実にッ
それぞれが最高の鍼灸をあきらめそれぞれの道を歩んだ
しかしッッッ
あきらめなかった者がいるッッ
偉大なバカヤロウ!!!
明日以降、そんな「偉大なバカヤロウ」である栗原オーナーの秘密に迫っていきたいと思います!
はりきゅうルーム カポス(鍼灸師)
本物の鍼を追究するために大阪からやってきました。
患者さんに「鍼って本当に効くんですね」と言ってもらえた時に、鍼灸師としてのやりがいを感じます。
好きな言葉は「勝ちに不思議の勝ちあり 負けに不思議の負けなし」 趣味はサウナ。
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