1)活法との出会い
はじめに
カポスオーナーの栗原誠です。ここでは、「はりきゅうルーム・カポス」が誕生するまでの歴史を4つの章に分けて説明していきます。今回は、活法(かっぽう)とどのように出会い、鍼灸師である私がどのような影響を受けたのかを書いていきます。
そもそも、鍼灸の世界があまり知られていないのに、活法なんて言われても何のことだかわからないと思います。簡単にいえば、活法は整体の源流です。武術の裏技として密かに伝承されてきたもので、ごく一部が現在に残っているだけです。このような技は鍼灸学校で習うことはありません。あん摩マッサージ指圧師という国家免許を取る時でさえ、名前に触れるだけで実態について解説されることはありません。
活法とは、特別な整体術であるということです。少なくとも私にとっては特別なものです。活法は名の通り「活かす法」で、実は殺法の反対語です。活かす方法であれば、何でも活法と言うことができます。広すぎるといけないので、ここでは「整体術の源流」と理解していただければ十分です。
栗原誠 KURIHARA,Makoto■略歴
2001年 後藤学園 東京衛生学園 東洋医療総合学科卒業
2001年 整形外科勤務(東京都)
2001年 鍼灸整骨院勤務(神奈川県)
2001年 出張専門で独立(活動エリア:東京&群馬)
2003年 鍼灸養気院開業(群馬県伊勢崎市)
2006年 ダイエットアドバイザー協会代表就任
2008年 T3Laboにて碓井誠に師事
2009年 活法研究会の副代表に就任
2013年 株式会社KAPPOLABO 代表取締役就任
2014年 はりきゅうルームカポス 経営責任者就任
一通のダイレクトメール
群馬で鍼灸院を開業してから5年目の出来事です。一通のダイレクトメールが届きました。よく見ると送り主は鍼灸学校の同級生。このダイレクトメールがきっかけとなり、卒業してから初の再会となるのです。彼が送ってきたのは「失敗しない腰痛治療 腰痛を良くする7つの方法」という整体セミナーの案内でした。パンフレットに添えられた手紙をみると、彼の師匠が整体術の講師らしいのです。
もし、同級生の彼が送ったものでなかったならゴミ箱行きだったと思います。しかし、送り主の名前を懐かしく思い、ちょっとした気まぐれで体験会に行ってみることにしたのです。
はり師、きゅう師、あん摩マッサージ指圧師の国家資格を持つ私。開業以来、はりきゅう専門として診療し生計を立てていました。難しい時期を乗り越え、ほっと一息ついていた頃です。もしかしたら、何か刺激を求めていたのかもしれません。
とはいえ、私にとっては、まさかの整体なのです。当時の私は「鍼灸より優れたものはない」と信じ切っていました。整体は私の視野の中にありませんでした。学生時代からいくつかの整体を見たり経験したりしてきましたが、私の知っている鍼灸には及ぶものがなかったからです。
彼のダイレクトメールに反応したのは、そんな自分の信じる鍼灸を再確認するためだったのか、自分の信じるものに違和感を抱いていたからなのか、どちらだったのか自分でもよくわかりません。理由は何であれ、その整体セミナーの案内は私を動かす力を持っていたのです。そして、私の運命を変えることになるのです。
東京での再会
体験会の会場は都心の小さな会議室でした。5~6人で会議するのにちょうどいい広さです。そこに集まったのは4名だったと思います。ダイレクトメールを送った彼とその師匠を入れて6名。広すぎず、狭すぎずという空間で体験会が始まったのです。
同級生の彼にとっても初めての催し。不慣れな様子で動いていました。どうも細かい段取りまで決まっていないようで、その場の雰囲気で進行していました。師匠と言われるその人がいったい何を繰り出すのか、まったく予想できません。同級生の彼の話では、ハンパない技術の持ち主であるとのこと。質問コーナーのような形式で体験会は始まりましたが、何を質問すればよいのかわからず、しばらく受け身に徹していました。
すると、師匠の技を実際に受ける機会がやってきました。症状がないか参加者一人一人に尋ね、それに応じた技をかけていきました。揉むでもない、指圧するわけでもない、意味不明なことを始めました。始まったと思ったらすぐに終わってしまいます。順番がやってきて私自身も意味不明なことを一瞬されました。
そこで目にしたこと、そこで体験したことは、私が知っていた整体とは全くの別物でした。あん摩マッサージ指圧師の国家免許を持っていますから、一通りの手技は知っているつもりでした。それまで目にしてきた整体は、そこから想像できる範囲のものでした。でも、ここで目にしたことは想像の延長上ではありませんでした。
こんなものがあったなんて!
ショックで言葉が出なくなりました。知っていると思っていた整体の世界。まったくの知らない世界だったのです。もし、この真実を知らないまま鍼灸師を続けていたらと思うとゾッとします。あの時、言葉が出なかったのは恐怖を感じたからかもしれません。
それ以来、私は将来に不安を感じるようになりました。自分が知らないことを平気でやっている人がいると思うと夜も眠れません。この不安を克服するためには、その整体を学ぶ他ないと考えるようになりました。そして、同級生の主催するセミナーに参加することにしました。それから隔週で東京に通い出したのです。
碓井流活法
同級生の彼は橋本聖樹。後に私と活法研究会を立ち上げることになるのですが、その話は次の機会に。
彼の師匠は碓井誠。古武術(柔術)の裏技である活法の超一流の使い手だったのです。私が目にしたものは天才の放った技。衝撃を受けたのは当然です。
碓井流活法と言われる、その技を私は1~2年で一通り学びました。一通りと言っても、触れる程度の一周しただけですからマスターしたとは言えません。橋本のフォローを受けながら、少しずつ技術を自分のものにしていきました。
無理だと思っていたことが出来る!
鍼灸であきらめていた症状がどんどん良くなっていくのです。患者さんが感動する横で、私も感動していました。予想を超えた好転をすることが珍しくなく、そんな時は自分で自分の技に驚いてしまうのです。もちろん、患者さんの前ではその感動を隠して当たり前のような顔をしていました。
こんなふうに、鍼灸と並行して「活法」と言われる整体を行う日々が始まりました。私の施術スタイルはあのダイレクトメールをきっかけに大きく変わってしまいました。そして、引き返せないある道を歩むことになるのです。
★つづく≫活法研究会の設立