3)外科医は見た!
第3回 資格がもたらす権利と責任
成り立ちが異なる2つの医学 ≪ 第2回
今回は、われわれいわゆる「医師」とよばれる職種と、鍼灸師の先生方との法的な「資格」の違いについて言及したいと思います。
そもそも、どうして資格が必要なのでしょうか。
それは、人の体に触れる仕事である以上、なにか不都合な状態が起こる可能性がゼロではないからです。もちろん手術なんかはわかりやすく危ないことが起こることはみなさんイメージできますよね。
脳外科の手術なら手術後に意識障害が出るかもしれません。腸の手術なら、つないだところがうまくくっつかずに漏れてしまうかもしれません。心臓の手術なら、止めた心臓が二度と動かない可能性だってあるんです。
それと同様に、ただおなかの診察でおなかを触っただけで患者さんはそのあとに痛みが増してしまう場合だってあります。
もちろん鍼灸師だってそれは同様のことが言えるでしょう。そういうリスクを負う場合、「資格」という国が認めた免許はある意味最低限の知識、技術を担保し、責任を負う立場がだれであるかという所在が明らかになるので、患者さんにとっては必須の存在といえます。これは「腕がいい」「腕が悪い」の問題ではないんです。
医師は大学医学部卒業後、国家試験を受験して合格したのちに医師免許が発行されます。鍼灸師の資格についてはあまり詳しくはありませんが、調べたところ3年、ないし5年の養成学校の教育を経てやはり国家試験を受けるとのこと。そういった意味では資格そのものに差異はないと言えるでしょう。
でも、現状の差はどこからきているのでしょうか。
これは国の援助、保護に他なりません。例えば宗教においても、ローマ帝国がキリスト教を国教と定めて以来、キリスト教が勢力の大半を占め、ほかの少数民族の宗教はなかなか表に出られない状況がありました。
医療においても、日本国が「医師免許」を「国教」と定めたため、保険制度や助成金などにおいて病院が優遇される環境となっています。
たとえば、アフリカの一部の地域ではいまだに医療として「呪術」を「国教」としているところもあるでしょうし、そういった地域ではわれわれの「西洋医学」も「邪教」に移るでしょう。
ただし、国教と定められることがよいことばかりではありません。勿論「権利」には対となって「義務と責任」があるわけで、たとえこちらに明らかなミスがなくても場合によっては刑事責任を問われ逮捕されることがあります。
つまり、「医師」を」名乗る以上、それだけのリスクも生じます。たとえば、卒業したばかりの何もできない研修医の先生ですら、その責任と義務は生じます。もちろん彼らにそれを負うことは不可能なので、指導をした指導医が負うわけですが・・・。
それに対して、特に鍼灸の分野に関しては国のサポートは少ないと言わざるを得ません。保険適応もないわけではないようですが、あまり患者さんにとっても鍼灸院にとっても利益のある制度ではなさそうです。このサポート、いわゆる「権利」の少なさは「義務と責任」の低下をもたらすことにもつながってしまうのです。
まずはわれわれと同じ、患者さんを治したいと思う「仲間」として、同等の「権利と責任」が東洋医学の世界にも与えられた上で、患者さんがどちらかを選べるような環境が望ましいと思っていますし、それが医療界の発展にもつながると信じています。
第4回は「技術の習得と流儀」について、外科とのちがいにふれてみようと思います。